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「声」から「響き」の世界へ

渡邊氏のもとでの経験は、二十歳からの多感な時期に、その後の自分を動機付けてしまうような多くの要素があった。それは祝福でもあり呪いでもあった・・・ように思う。実際、笙との出会いはここでの活動に関わっていなければありえなかっただろうし、またそれ故の生きづらさに苦しむこともなかっただろう。

当時の私としては、渡邊氏の活動に共感しつつも、違和感を感じる部分が多々あった。「身体」にまつわる負の部分をたくさん見たし、また「スピリチュアル」な事柄に関しての歪みも多く体験したように思う。勿論それだけでなく、声に関して、身体に関して、得た知識や、体験は、それと同じくらいあった。そういう意味では、今の時代の「身体」という文脈の様々な正負の部分を体験させてもらったのかもしれない。

やはり、声というのは表出の在り方としてとてもプリミティブだし、ダイレクトだ。人は「声」を通して、自身と音、世界との根源的な交わりを学ぶことができる。そこから導き出された自分なりの世界のみえかたが育っていたからこそ、笙や、雅楽の世界と出会うことができたのかもしれないと今は思っている。