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もういちど「声」をとりもどす

2021年の2月、ほんとうに久しぶりに、目の前の人のヴァイブレーションを感じて声を出すということをさせていただいた。

それぞれの人には、それぞれにそのような「かたち」であることの必然がある。その人という「かたち」は、数え切れない数多の関係性の中から紡ぎ出され、私たちというのは必然的にこの世界との「つながり」の中に存在している。「声」はその時、そのような世界を垣間見せてくれた。それは紛れもなく深い「喜び」の身体感覚であり、それはその後数日続き、私は自分自身の「声」と、もういちど再接続していかなければならないと強く感じるようになった。

「声」からみえてくる世界を深め、それを他の人とシェアすること。シェアリングという循環の中に成り立つ生命の世界にもういちど回帰すること。

そのために「声のエナジーワーク」として、モニターとして協力してくださる方を募り、多くの人の「声」と向き合う活動を始めた。

その中で、かつて20代前半に「声」の原体験をさせていただいた故渡邊満喜子氏の著作を読み返した。

不思議なもので、まるで渡邊さんと直接対話するかのように、彼女の辿った道と、残した仕事に思いを馳せる読書体験となった。そこには「いま」だからこその大きな発見がある。

ここでは詳しく書けないが、渡邊さんのところでの体験は、はっきりと「正と負」の側面があった。その「負」の側面ゆえに、「声」から遠ざかり、「笙の演奏家」として身を立てていかなければならないという切羽詰まった思いとともに歩んできた芸大卒業後の数年があった。それは自分自身のともすれば「浮世離れした」感性を社会に接続しなければという切羽詰まった思いでもあった。

だが、「いま」だからこそ、その自分自身の「感性」を社会に接続していくことに取り組むことができると感じている。だからこそ、いま多くの人の「声」に向き合い、また、もう一度渡邊さんのところで得、身体の深い領域に隠し暖めてきた「叡智」のようなものとの再接続が起きているのではないだろうか。

僕は決して真面目な学生ではなかったと思うが、最初の大学では音楽文化論を学び、次に入った大学では雅楽を中心とした音楽の専門領域を学んだ。しかし、そこでは常に「声」を核とした内的な体験と、そういった「知の領域」「音楽の領域」をどう統合すればいいのだろうという深い葛藤があった。

僕自身は学術的な文章や小説やエッセイ、果ては漫画やアニメ、ゲームなどのポップカルチャー、映画、世界の様々な伝統音楽からポップミュージックまでを、そもそも愛してきた。中学高校時代はバンド活動に明け暮れ(高校時代はキツかったけれど)、決して熱心ではなかったが(それは当時の友人たちが証するだろう)最初の大学では映画サークルに所属し、演劇にも足を突っ込んだ。ここで少し渡邊さんの著作から引用をしてみる。

 そうであるならば、私もまた「いままでどおりの自分でありつづけながら」、ヒーリングの仕事をもっと社会的なものに変換させていくことができるのではないだろうか。また、自分が書こうとしている本も、いままでの自分の手法で正直にありのままの自分の体験を綴れば、それでいいのではないだろうか。

 こうした「体験」の最中でさえ、従来の自分が育てつづけた「知的枠組み」を手放すことなく、新たな世界を認識しようと悪戦苦闘を続けた自分を語ることによって、もしかしたら一挙に「精神世界」にもニューエイジブームにも乗れなかった人々が受け入れやすいメッセージを送れるのではないだろうか。

p.213  渡邊満喜子「ヴォイスヒーリング 魂を癒す歌」春秋社

今なら「精神世界」を「スピリチュアル」という語に置き換えられるだろうか。そこにある「分離」を乗り越えようとした渡邊さんの仕事には、学ぶところがあるのではないだろうか。

ただ当然、いまは時代が変わっている。「ヒーリング」という在り方もいまにおいては不適切な在り方ではないかと僕自身は感じている(それは結果的に「起こる」ことだとしても)。彼女の知的枠組みの中から「声」を社会化しようとした渡邊さんの仕事を引き継ぎつつ、「いま」に即した、ひとつ次元があがった場所から、新たな「声」を紡ぎ出すことは出来ないだろうか。僕なりに、このヴォイスワークをいまの社会にクリエイティブに接続すること。そのことに本格的に取り組んでいきたいと感じている。